キリスト教における「死」の考えかた
こんにちは。
長野県長野市にある「日本基督教団 長野教会」です。
HPをご覧くださり、ありがとうございます。
何かしらのお悩みを抱えている方、心の豊かさを求めている方は
是非一度、長野教会に足を運んでみてください。
この世に生まれたものは、いのちの終わりに死を迎えます。
それは誰にでも平等に与えられていることですが
キリスト教では、その死を罪の結果と考えます。
神に創造された人間は不死のものと定めらていましたが
人間が罪を犯した結果、死がこの世に入ってきたというのです。
人間が罪を犯さなかったならば、死ぬことはありませんでした。
つまり、人間にとって肉体の死は、人間が招いた最強の敵ということになります。
そして、この敵を打ち破ってくださったのがイエス・キリストの十字架と復活なのです。
クリスチャンは、自身の肉体に魂と霊を宿しているのではなく
魂と霊が肉体をもっていると考えるので、死は「私は肉体を離れた」という意味になります。
神様は、死をとおして私たちをご自分のもとに呼び寄せてくれます。
信じる者にとって死は滅びではなく、新たないのちの門で地上の生涯を終わった後も
天に永遠の住みかが備えられていると信じています。
死は終わりではなく、地上における人間の旅路の到着点なのです。
そして、人間は1度死ぬものとされていますから、死後の転生はありません。
礼拝は、私たちを作り、愛してくださる神様との出会いの場です。
神様がここに私たちを導いてくださいました。
礼拝に出席して、神の祝福を受け聖書の豊かさを味わってみませんか?
どなたにでも開かれた場所で、勧誘や信仰の強要は一切ございません。
気負わずに、楽な気持ちでお気軽にどうぞ。
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